blog 本文へジャンプ
>前の記事へ
     次の記事へ<

 記事一覧 

  イメージ
置き畳から敷き畳へそしてまた置き畳へ、平安時代〜現代へ

平安時代に生まれた日本家屋を代表するものに明障子、襖(襖戸)、畳があります。明障子は元々は隋唐から伝わったと言われており、日本では家屋内と外を仕切る窓として使用できるよう和紙を貼り、閉じたままでも外の明かりが入るよう工夫をこらしました。襖戸は邸宅の中の寝床の間仕切りとして使い始めたと言われており、家屋内の部屋と部屋を仕切る形は、平安時代での大和絵から確認することができます。そして畳は、当時板敷の室内の中で寝床や座所に並べて使う置き畳として利用されています。


平安時代にわらを束ねて圧縮して編んだ畳床は、現在のものよりも薄く、筵やゴザに近い物と言われています。その薄い畳床を5~6枚重ね、畳表をかぶせ、畳縁で閉じたものを部屋の部分部分に置き畳として使っていたのです。また、平安時代の置き畳は、それ自体が、権力や権勢の一部であったとも指摘されており、やはり大和絵で描かれた貴族の生活で確認することができます。そんな置き畳の使い方が変わったのは時代を数百年経た室町時代のことです。


室町時代に建築された書院造の邸宅は、家の主や家族が生活する部屋と客間を明確に別け、客室として座敷(和室)を生み出しています。これは武家などの屋敷で見られるもので、家の主や家族が生活する部屋や客間などのほとんどが畳で敷き詰められており、現在の和室や日本家屋の原型と言われています。平安時代に部分部分で使用されていた置き畳が、室町時代には部屋の床全体に敷かれているということは、権力や権勢を持つ物が変わったということになります。


置き畳から敷き畳に変わった室町時代から畳はより多くの身分者に普及し始め、裕福な商人や町人、農民などに広がったと考えられています。そして現在は、多くの家屋が和式からフローリング中心の洋式に変わり和室は一室になることが多くなっています。しかし、一方でイグサを使用した機能性やデザイン・インテリア性が再評価されており、かつて使っていた置き畳が使用され始めています。置き畳の多くは、それぞれ約90cmx70cmx14cmほどの大きさが主となっており、片手で簡単に持つことができます。そのため、好きな場所に置き畳を置いて使用することができるのが利点となっています。


置き畳は平安時代に生まれ、置き畳そのものが権力や権勢の一部として認識され、室町時代には置き畳から敷き畳に変わり、そして更に時を得た現在、置き畳の機能や性能に加えて、置き畳が持つ独自性が注目されています。フローリング生活をする現代人が置き畳を使う場面は、座りたい場所に置いて、脚の低いテーブル周りに敷いて、横になる場所や布団を敷く場所になどが主となっています。これは、板敷生活をしていた平安時代の貴族たちとほとんど同じ使い方となっています。