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日本の真珠養殖は1893年御木本幸吉が、三重県英虞湾で養殖に成功しました。
真珠は貝の体内で生成される宝石の一種で、生体が作る鉱物であり生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれるものです。
真珠は貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入り込むことで天然真珠が生成されます。真珠の成分は貝殻と等しいので、貝殻を作る軟体動物であれば真珠を生成する可能性があります。外套膜は細胞分裂により袋状になり真珠を形成する真珠袋を作ります。
その中でカルシウムの結晶と主にタンパク質コンキオリンの有機質が交互に積層し真珠層が形成されて、真珠が出来ます。この有機質と霰石の薄層構造が干渉色を生み出し、真珠特有の虹色を作ります。真珠層の構造や色素の含有量などによって真珠の色・照りが決まります。

日本の養殖真珠の発明は、球体に削った核を阿古屋貝の体内に外套膜と一緒にして挿入し、真珠層を形成させるというものです。養殖貝によって人工的に真珠を生産する歴史は古く、11世紀には中国などですでに養殖がおこなわれていました。ただし、養殖による量産は困難でした。日本の養殖の歴史は、現宝飾品の製造、販売等を行うミキモトの創始者御木本幸吉が、1893年に英虞湾で養殖阿古屋貝の半円真珠の生産に成功して、1905年には真円真珠の養殖に成功したことから始まります。養殖貝における真珠の養殖を最初に成し遂げたのは西川藤吉と見瀬辰平の2人があげられます。この二人の真珠養殖に関する特許権は海外でも、mise-nisikawa methodとして知られています。

現在の養殖貝による真珠の生産は西川藤吉の技術に負うところが大きいです。その後にも、様々な改良を経て養殖貝による生産は広まり、三重以外でも長崎の対馬などでも普及します。欧米でも養殖貝による生産があり、天然貝と養殖貝による違いが無いものとして評価が高まりました。

1930年には、クウェートやバーレーンなど真珠を重要な産業としていた国は養殖貝による生産が普及するにつれて産業が成り立たなくなり、経済的にも大ダメージを受けました。養殖貝によって、産業の転換を迫られましたが、現在は油田の開発により、クウェート経済は発展し、産業自体は文化保存事業のレベルにまで縮小してしまっています。

養殖貝による生産が100年以上経過していますが、1996年頃から始まったウイルス感染による阿古屋貝の大量斃死、養殖後の廃棄貝、および諸々の排水による湾の富栄養化によって、養殖貝による生産も下降の一途をたどっています。養殖技術は海外にも広がり日本でのこうした産業も少なくなってきています。ですが、真珠の養殖を本格的に始めたのは日本なのは確かです。伝統的な文化事業だと言え、今後も保護の必要性が生じるかもしれません。