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花ゴザの竜鬢莚と床の間に風情をだす竜鬢表
畳とは床材の一つになりますが、日本独自のものとして作り出され、高温多湿なこの国の気候風土に適した材料を用い、現代も脈々と使われています。8世紀ごろに記された古事記という歴史書のなかに、スゲという植物を織った敷物が畳として記録されており、奈良の正倉院には聖武天皇が使用したとされる、御床畳(ごしょうのたたみ)といわれるものが現存しています。これは台の上にマコモで編んだムシロという敷物を数枚重ね、イグサで編まれた粗ムシロをかぶせて寝台にして使用しました。そして、この時代には竜鬢(りゅうびん)という花ゴザの敷物もありました。


 畳が浸透しはじめるまでは、花ゴザとよばれるワラやイグサで編んだ敷物が一般的で、竜鬢莚(ムシロ)ともいわれ、模様が編み込まれているのが特徴で、基本は畳表と同じ作りになっています。竜鬢莚も8世紀ごろに作られていたと思われ、床の上に敷いて座ったり、体を休めるためにと利用されていました。奈良の法輪寺や法隆寺には竜鬢莚が所蔵されており、これを復元したものもあります。寝台に使う畳の元祖や、花ゴザである竜鬢莚も貴族階級といった高貴な人たちが使えるもので、庶民の寝床や敷物は稲ワラを集めて、束ねたり編んだものなどを使っていました。

 稲ワラを乾燥させて圧縮し、板状にして畳の中心に使うワラ床(とこ)は、クッションのような弾力性や保温性、室内の湿度の調整機能などがあり、9世紀後半の平安時代になると次第に現在の畳の形に近づいてきます。建築様式が寝殿造とよばれる床張りの広い部屋を、使用する目的に応じて几帳や屏風で仕切り、置き畳のように部分的に畳を置いて利用し、位の違いによって畳の厚さや縁(へり)の種類がわけられていました。竜鬢莚の模様のある表地とは違い、目積表(めせきおもて)や諸目(もろめ)表、竜鬢表など特徴のある畳表があり、畳としての竜鬢表は花ゴザの竜鬢莚とは異なるものへとなっていきます。

 14世紀の室町時代のころになると、書院造とよばれる和風住宅の原型ともいえる建築様式になり、区切られた部屋ごとに畳を敷きつめるのが定着し、畳表や縁に特徴が表われるようになります。書院造とは、床柱や床框(とこかまち)、畳床に付書院という構成により床の間という空間が作られ、これにより上座や下座といった客人の席次を決める目安となります。この畳床には、竜鬢表とよばれる畳表があります。竜鬢表は乾燥した良質のイグサを、水洗いと天日乾燥を数回くり返し、茶色がかった色に均一に仕上げ、床の間の大きさに合わせて目幅を変えて織って使います。この竜鬢表には、先人の知恵が生かされています。

 床の間には客をもてなす空間として、花活けを置いたりしますが青畳のままでは、花器を移動した際に跡が青く残ってしまうので、体裁が悪くならないよう竜鬢表を使うことが考えだされました。一方の花ゴザとしての竜鬢莚は、繊細な織目に日本人ならではの風情あふれる模様をあらわし、夏の光景にふさわしい生活の道具の一つになっています。使われるイグサも選びぬいた国産の上質なもので、こだわりを持って作られ、布団の上に敷いても使えるように、しなやかに作りあげたものもあります。畳と花ゴザとの両方に竜鬢を取り入れ、伝統ある和の趣きは今でもしっかりと受け継がれています。