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            金碧障壁画の襖
書院造書院造のひとつの特色に、華麗な金碧障壁画がある。
金碧障壁画は、金箔地に群青・緑青・白緑そして
朱や濃墨などを用いた、濃彩色の障壁画(襖や貼り付け壁、屏風などに描かれた絵)
で狩野永徳 狩野永徳によって新しい
画法が創造された。
書院造の障壁画として、有名な二条城二条城の二の丸殿舍や西本願寺西本願寺の
対面所がある。正面床の間の、貼り付壁や付け書院、違棚の小襖や間仕切りとしての
襖長押 長押の上の壁面などを
すべて構成要素として利用した、雄大で華麗なパノラマ金碧障壁画が描かれている。

狩野永徳狩野永徳は、足利将軍家の御用絵師として、漢画の技法と伝統的大和絵の技法を
折衷した新しい画法を創造した。
平安時代の貴族の邸宅や寺院に描かれた障壁画は、中国の故事や風物を描いた唐絵であったが、
日本の四季の花鳥風月や風景を主題に選び、独特の画法を確立した。

また、連続したパノラマ画面を構成する為に、襖から軟錦(ぜいきん)
という幅の広い装飾の縁取りの
裂地(簾みすや畳にも装飾の縁取りが付けられた)を取り除き、
さらに長押の上の小壁も連続した画面として
利用するなどの工夫がなされた。
金碧障壁画は、書院の単なる装飾的な価値だけでなく、
当然ながら地位権力を象徴する演出として利用された。

のちの安土桃山時代には織田信長 織田信長安土城安土城や豊臣秀吉豊臣秀吉の
聚楽第聚楽第や大坂城などに壮麗な金碧障壁画が描かれ、権力の誇示に利用されていく。

狩野永徳狩野永徳は、時代の変革に柔軟に対応して、時の権力者に巧みに取り入り、
これらの障壁画のほとんどを狩野永徳とその一門で描いている。
ついでながら、狩野派一門は江戸時代江戸時代徳川将軍家の画工の長として、
勢力を維持し続け、画才の他に鋭い政治感覚も合わせて持ち合わせていた。

俵屋宗達俵屋宗達や尾形光琳などが狩野派狩野派の絵画技法を継承発展させて、
金碧障壁画は日本美術に実に大きな影響を与えた。

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