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日本競馬の最高峰としての日本ダービー
ちょうどけやきの森が緑に染まるころに、東京競馬場で行われる日本競馬の最高峰、日本ダービー。競馬を知っている人ならその価値はよくわかっているかもしれませんが、知らない人にはその名前くらいしか聞いたことがないかもしれません。サラブレッドが人間でいう思春期に当たる時期、年齢でいうと3歳の馬たちによる生涯に一度だけ、参加することが許されているレース、それが日本ダービーです。日本ダービーの他にもクラシックレースというものはありますが、日本ダービーだけは格別のものがあります。


歴史と言う面でも、またレースの品格と言う点でも日本ダービーは他のレースと一段も二段も上に位置していると言っても過言ではありません。それだけに競馬に携わる人にとって日本ダービーの重みと言うのは大変大きく、このレースを勝つために馬主、調教師、騎手、その他関係者は毎年サラブレッドに情熱を注ぎ、最終的に同じ年に生まれたサラブレッドの中で、一党だけの名誉を勝ち取ろうとしのぎを削っている、という表現がまさに正しいと言えます。


かつては若くしてトップジョッキーの仲間入りをし、天才の名をほしいままにしたジョッキーは、勝ち星を着々と重ねていながらも日本ダービーだけはなかなか勝つことが出来ず、このまま日本ダービーを勝つことが出来ないのではないかなどと揶揄されたりした時期もあったのですが、ひとたび勝利を挙げた後には、現在までに五勝を挙げるという前人未到の記録を達成し、まだまだ現役ということもあり、さらに勝ち星を延ばすことも期待されています。


また、名手と言われたベテランジョッキーも日本ダービーをなかなか勝つことが出来ずに五十代を迎え、このまま引退してしまうのではないかという心配の中、騎手人生最後に合った名馬によって日本ダービーの勝利を得ることが出来た後に無事引退、という騎手人生を送りました。彼は外国で、自分がジョッキーであるという時に「日本ダービーを勝ったか」と聞かれて「もちろん」と答えることが出来るようになったことが騎手としての最大の名誉である、とも言っていました。


このように日本ダービーと言うレースはそれに携わる人々、特に騎手にとっては格別のレースであることは様々なエピソードから知ることが出来ます。広い東京競馬場に、多いときには15万人以上も集まる競馬というものの魅力に疑問を感じてしまう人もいるかもしれませんが、サラブレッドが走る美しいスポーツ、その中で、一生に一度の晴れ舞台である日本ダービーの魅力と言うものは、競馬が好きな人にとっても他の追随を許さないものがあるのです。