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 江戸っ子と大阪の違いについての、ごく私的な考察
自分は大阪人であるが大阪の人は何かと関東を意識するところがある様に思う。
その気持ちもわからないではないが、大阪の人が最も攻撃の対象とするのが関東で発売されている関東人によって作られた大阪ガイドではないか。

大阪はキタとミナミに分かれることは良く知られている。確かにキタ、ミナミという言葉は大阪でも通じる。
しかしながら、今では誰も、キタ、ミナミとは言う人は少なくなった。週末、キタへ遊びに行こうよ、などと言う人は少なくとも大阪市内には居ないのではと思うのですが。

キタ、ミナミというはっきりとした区分は東京で作られたイドで一般的になったものだと、関西人の私は考えているのである。すなわち、関西で暮らしている人が言うところのキタやミナミは、観光ガイドに掲載されているキタやミナミとは少し異なるのだ。

大阪人はキタとは言わず、梅田と言い。ミナミとは言わず、難波ということが多い。
キタやミナミは範囲が広すぎて実は一般的ではないのだ。東京の人が大阪に来る時、当然ながら自分で理解している尺度で大阪を計ろうとする。

つまり、山手線と大阪の環状線を同じように考えるのだ。しかしながら大阪の環状線は決して山手線ではない。東京は山手線を中心にして放射状に街が広がっているが、環状線は決してそうではない。環状線はいわば大阪の下町線なのである。

大阪で関東人が言うところの山手線のようなものを設置するならば、大阪だけではなく、京都まで含まなくてはならないだろう。皇居の周囲を山手線は走っているが、環状線は大阪城の周囲は走っているが、やはり山手線とは一線を画すのである。大阪人にとって理解できない関東のものに江戸っ子というものがある。

東京は地方出身者が多いため、三代くらい住んでるだけでは江戸っ子ではない、というような言い方をされることがあるが、大阪の住人を浪速っ子ということはまずない。何代そこに住んでいようが、それを自慢することはないのである。

一方、京都という街は厳格に目に見えない区別が存在する。江戸っ子は男女いっしょくただが、京都は、京女、京男と性別まで分けて出自を問うのである。京女や京男にあたる大阪人を指す言葉は存在しない。存在したとしても一般的には知られていない。この国の第二の都市でありながら、江戸っ子やパリジャンに値する呼び名が存在しないのである。これこそ、型にはまらない、型にはまることを嫌う大阪人の気質を表しているような気がして仕方がない。誰もが三日住んだら大阪人となるのである。