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  成田山新勝寺 アクセス 交通安全お守り
 

成田山新勝寺は千葉県成田市にある真言宗智山派の寺で、本尊は不動明王です。関東地方では有数の参詣人を集めると言われている寺院で、家内安全や交通安全などを祈るために訪れる方が多いようです。成田山新勝寺は不動明王信仰の寺院の一つであり、寺名は一般的に成田不動と呼ばれたり、成田山と呼ばれていることが多いと言われております。成田空港が近くにあることからも、成田空港をご利用になっていらっしゃる方が訪れることもあるようです。


成田山新勝寺は平安時代中期に起きたとされる平将門の乱の際に、939年朱雀天王によって寛朝大僧正を東国へ遣わしたことに起源を持っていると言われております。寛朝は天慶3年に海路によって上総国尾垂浜に上陸しました。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式をおこない、成田山新勝寺は天慶3年を開山の年としております。乱平定の後の永禄9年頃に成田村一七軒党代表の明主が不動明王像を背負って遷座されて伽藍を建立された場所が現在の成田市並木町不動塚辺りだと言われております。



成田山新勝寺は、「また新たに勝つ」という語句に因んで新勝寺と名付けられたと言われており、東国鎮護の寺院になったとされております。その後成田山新勝寺は、戦国期の混乱の中で荒廃してしまい江戸時代までは寂れ寺となっていたと言われております。成田山新勝寺は、江戸時代に江戸でたびたび成田不動の出開帳がおこなわれたとされております。明治維新以降新勝寺はお札を通じて民衆の戦争に深く関わったと言われており、身代わり府だは鉄砲玉から身を守る札として信仰されていました。


成田山新勝寺の境内は、新しいものから旧いものまでさまざまな建造物が並んでおり、庶民の信仰の場の雰囲気を残しております。仁王門や三重塔、釈迦堂や額堂、光明堂の5棟は成田山新勝寺の江戸中期から末期の建築だとされており、国の重要文化財に指定されております。新勝寺への行き方ですが、JRおよび京浜電鉄の成田駅から、成田山新勝寺への参道が伸びており、10分ほど歩くと石段を登った先の台地上に伽藍が広がっております。


新勝寺境内の位置関係などをご紹介していきたいと思います。石段の途中には仁王門があり、石段を上がった先の正面には大本堂があり、その手前の右手方向には三重塔などが建っております。大本堂の左手方向には釈迦堂があり、大本堂背後の一段高くなっているところには額堂や光明堂、開山堂、平和の大塔などが建っております。また、境内の東側には広大な成田山公園になっているのです。ぜひ機械があればお立寄りになってみてはいかがでしょうか。