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美しさや味わいを感じる畳と丹念な造作を重ねる畳技術
丹精をこめて入念に作り上げられた畳には、技術の集積や製作者の造形へのあざやかな手運びといったもの、あるいは座敷としての味わいや美しさを感じます。京間系の伝統技術とされる麻布緑本高宮つじ割りづけや、関東の伝統技術とされる一本縁表現技法は、いまでは極く限られた人々でしか造作をかけることができなくなっていますが、それらの造作には畳づくりを超えた丹念さが存在しています。



また空間に独特の枠をつくり出す表現の豊かさがあります。そして出来映えの妙をみせてくれます。
しかも造作の数々には、畳の良さを示すのに十分なものがあります。畳とは、その造作の大半を機械の力に借りるとしても、やはり手づくりの味が生かされたものが一番であります。部屋に体裁よく敷き詰められた畳には、表面にあらわれた畳表と畳縁のほかは、なにもありません。その姿や形は同じです。
にも関わらず、畳を巧みに敷き合わせることによって、独特の座敷空間を生み出していくところに畳の世界があります。しかもその造形パターンは極めて限られたものです。そのため敷き合せの美しさを出す必要があります。そのために、隠れた部分の手間をかけて、丹念な造作を重ねるのです。そこに造形への良し悪しを追求していかなければならないという畳技術の難しさや、造形への厳しさがあるといえます。


丹念に仕上げられた造形を眺めていると、畳というのは無造作に作り上げていくだけの住宅部品ではないということを感じることができます。むしろ表面的な派手さが乏しいゆえに、目立たないところに技術の良し悪しが問われて、丹念な造作が求められていく理由があるといえます。二畳台や拝敷、あるいは御神座といった有職造作には、表面上の姿や形の変化もあって人々の関心を集めています。

特殊造形には表面上の特異さや、目に映る造形の妙もさることながら、隠れた面での造作の丹念さによって表現されたものです。しかもそれらの造作にみる心技一体は、ごく普通の座敷畳をつくるという造作の積み重ねから生じたもので、姿や形は異なるものの共通した畳技術から出たものなのです。この点、畳技術の妙技はもっと多く消費されている、ごく一般的な座敷畳にこそ十分に発揮されなければなりません。